一を見て全とみなすな。
リーマンショックで地方の大学生の就活が夏まで売り手と言われてたのに秋から急にヤバイよヤバイよと言われて我々1987生まれは受難の連続です。
いきなり相対評価から絶対評価に中学生の時に変わり、ゆとり第一号として放たれた私たちは、就活も困難を極めて且つゆとりと罵られ、小泉●一郎のせいなのか誰のせいなのか非正規社員の比率は増えて、とくとかくもなんか中途半端な印象。
学生の頃はもう信じられない位楽しかったですよ。
オタクでして、仲間とドゥフフ騒いでそれなりに青春をしてのぺーっと生きてきました。
就活は上記の通りなんで、早々に諦めて付き合っていた彼氏(都内の企業に内定していた)と上京してとりまフリーター(^_−)−☆でもやろうかと思いましたが、親のススメ(大学院進学せぇや!)と私の希望(上京したい!)で、とりあえずの夜間服飾専門学校に。
周囲の友人らもそのまんま院に行く子多かったです。
あとは非正規で就職。地元大手はいつもならこないであろう人材で溢れかえり、私大文系大爆死状態でした。
そんなこんなで初東京が赤坂。(彼の赴任先)
六本木にも近いため、エンジョイクソパリピ状態。
家賃と光熱費は彼氏持ちでしたので、私はお小遣い稼いで学生生活の延長。あーん最低(^_−)−☆
と、本当によく話に聞く馬鹿女がおりました。
今考えると、今の自分が一番嫌いな女です。
自立できてなくて、何も考えず今だけ楽しければいいよ!親?彼氏?お金?なんだろそれ?っていう女。
そんなんだから天罰が下ったんじゃないかと今の私は思っています。
でね、リーマンショックが小泉がーとかなんとか言ってるけど、結局は自分次第。きちんと出来ている人もいるわけだから、本当に言い訳です。
私が悪かったのです。頭も、考えも。
ゆとりとか言いますがきちんとしている人はしていますし、結局そういった時流の中で私みたいな人間が単純に「ゆとり」という程のいい言葉でまとめられたという話。
そしてその言葉をゆとりと言われた本人も程のいいいいわけとして使っているというだけの話なんです。
ゆとり教育がない時代だって、多分だめな奴はダメですしね。
そんな馬鹿な私が徐々にやばくなっていく話です。